2012年5月27日 (日)

原発国民投票(3)

○5月22日(火) 原発国民投票、関西の賛同人の集まりということで、夕方十三へ。十三は大阪の庶民的な町のひとつ、阪急駅の近くの飲食店街を歩き、韓国料理店で冷麺を食べる。18:30頃に会場へ行く。今井一氏には初対面。名刺を交換し、彼の2冊の著書にサインをもらう。本へのサインをねだるのは私のささやかな楽しみ。

○集会は数人の参加者で始まったが、終わる頃には20数名になった。今井氏が東京、新潟、静岡、等での動きを報告し、関西での動きが鈍いとの指摘。住民投票と国民投票の違いという基本的な認識も議論された。ほとんどの(すべての?)、人は個人としてこの運動に係わり、その発言も爽やかである。自分で出来ることをやり、連帯できるのは気持ちのいい運動である。

○私がやっている肝心の署名集めは現在100名足らずだが、強力な助っ人がいるので、200名近くは集められそう。

○今週は「第二のフクシマ、日本滅亡」(広瀬隆/朝日新書)と「広瀬隆 怒りの緊急講演会}に大変良い刺激を受けた。次回にでも感想を。

六甲山人

2012年5月20日 (日)

西海原子力発電所

○「原発への抵抗は、どんな嫌がらせだって結局国家への反逆につながるんだよ」「原発の抱えている矛盾は全体として解決しなければ、解決にならないし、わずかの誤差があってもならない。原子力の社会っていうのはそういうものなんだ」

○書庫を整理していたら、「西海原子力発電所」(1986年出版/文芸春秋)という題の本を偶然に見つけた。井上光晴がチェルノブイリ事故(1986.4.26)の直前に書いた小説。今回初めて読んだ。西海原子力発電所は存在しないが、小説中の登場人物の会話から九州のどこかの原子力発電所と想像できる。ちなみに九州は佐賀県に「玄海原発」が4基、鹿児島県に「川内原発」が2基存在する。いずれも70年代から80年の前半にかけて運転を開始している。

○小説は不審火で1人の男と1人の女が焼死するところから始まる。色々な人物が登場し誰が、なぜ、という謎解きを始める。スパイ、二重スパイ、原発被曝者、原発労働者、さらに偽の被曝者等が登場し、小説は重層的に展開する。劇中劇「プルトニウムの秋」で冒頭のような会話が交わされる。

○現状をみると、日本の社会はおよそ30年前とほとんど変わっていない。原発を動かすために汚れた金を使うひと、それを受取る人、その結果として反目しあう社会。          井上光晴は様々な人物を通して、原爆、原発をどう生き延びるのかを読者に問うている。

六甲山人

2012年5月13日 (日)

今週の動き

○5月11日(金)  大阪へ。地下鉄淀屋橋で降りるとなじみの会社が数社ある。まずは北浜の会計士事務所を訪問し、馴染のKさんに「原発国民投票」の趣旨を説明、署名集めをお願いする。そのあと道修町の会社を訪問し、3人の人に会い、「国民投票」署名集めをお願いする。みんな顔馴染みなので、気楽に引受けてくれる。むしろ議論をしたかったのだが、とにかく善意を信じて無駄口(?)はたたかない。

○5月12日(土)  1000万人署名で、特に協力してくれた7人の友人に、「国民投票」の意義を書いた短い手紙と切手を貼った返信用封筒を同封し、郵便で「原発国民投票」の署名集め依頼をする。息抜きをかねて午後は演劇鑑賞。翻訳ものでおしゃべり過剰で少々疲れた。帰り、三ノ宮で一人早い夕食。食べたトンカツはもうひとつ、ビールで流し込む感じ。店の料理人が変わったか、わたしの口が驕ったか。それにしても、元町には同じぐらいの料金でもっと旨いトンカツ(ヘレカツ)を食わせる店がいまもある。

○5月13日(日)  9時から4ヶ月に1回の居住地の掃除当番。同じ階段の3人で1時間ほど草引き等をする。そのうちの一人、Sさんご夫妻に「国民投票」の署名をもらう。この団地には40弱の世帯が住んでいるが、なかなかみんなに声をかける勇気がない。何を慮っているのだろう。 

六甲山人

2012年5月 6日 (日)

「世界から見た福島原発事故」

○「原子力発電所はギリシャ悲劇のようなものです。英雄は生まれつき弱点を持っています。それも時間がたたないと分からないんです。原発も同じです」こんな譬えから始まった先日のNHKのレポートは興味深いものだった。

アメリカでの取材で、ご当地原子力規制委員会(NRC)が2基の新規原発を許可するかどうかを公開の席で議論していた。ヤッコ委員長は反対したが他の4名は賛成で、許可となった。この結果はアメリカ資本主義を絵に描いたような物だったが、アメリカには民主主義がまだ残っていることを知る。オバマ大統領は次の選挙で再選を目指し、右の方にどんどん揺れている。これからの市民の反応が見もの。

○もう1つ注目を引いたことは、NRCはフクシマを知ってからすぐに特別チームを立上げ、日本政府まらなかなか情報が得られないので、独自に動き、90日間で報告書を作成した。スピードは効率だけの問題ではなく、まさに民主主義の実践の問題でもある。

○一方、電力の40%を原発に依存しているスイスの識者の一人は「(日本で)予測できた自然災害に耐えられなかったことに驚いた。怒りすら覚える」と発言。別な一人は「われわれの親の世代はチェルノブイリから何も学ばなかった(原子力政策を再検討しなかった)。わたしは、孫たちからフクシマから何を知り何を変えたのかと問われる事を避けたい」と。さらにコストの面でも、18年後には自然エネルギーが原発による発電より安くなるとの試算レポートもあった。スイスは2034年までに原発を全廃することを決定した。

○肝心のお膝元日本で、原発再稼動を主張する政権が今もあることを外国人はどう理解するだろうか。原発でもアメリカへ尻尾を振る人たち。子孫が、増える一方の放射能廃棄物の管理と放射能の危険性をすえながく負わされることを想像することが出来ない人がいることこそ恐ろしい。

○それにしても、福島原発はアメリカのGM社製(マークI型)である。国、東電、国民はGE社に何の損害賠償請求も出来ないのだろうか、それとも、やろうとしないのだろうか。専門家の意見を聞きたいものだ。

六甲山人

2012年4月29日 (日)

フクシマから何を学ぶ

○東日本大震災やフクシマ原発に関する情報はいっぱいあるように見える。しかし気をつけて見ていると、東電や政府は肝心の事実を隠蔽し、マスコミも当局の情報を流すだけと言うていたらく。その中で頭をどう整理するのかが問題である。

○わたしが今考えている整理法は、①川上川下分類法(縦型) ②政治、経済、文化分類法(横型) というものである。

○原子炉が稼動するまでに、その燃料となるウランの採掘、精錬、濃縮と言う作業がまずある(川上)。日本では岡山・鳥取の県境にある人形峠が50年代に発見され、公社を作ってウランの採掘が始まったが、経済性の面から67年に閉山。後はほったらかしと言うことで放射能問題が現在も解決していない。日本は現在ウランをカナダ、オーストリア、アフリカ諸国から輸入しているが、現地ではもっぱら先住民が鉱山労働者として働き、放射能被曝の問題はほとんど無視されている(どこの国でも力の弱い人びとは苦しむ)。

○原子炉が動き出すと、ほとんど燃料と同量の放射性生成物(死の灰)が生じる(川下)。そして放射能が無くなるのに100万年をようする。その間放射能が暴れないように人類は死の灰の番をしなければならない。その費用とリスクは人類が負い、リスクは全ての生き物が負う。

○各々のステージで、放射線被曝の問題、経済性の問題、等が生じ、推進派と反対派のあいだで議論が起こっている。しかし、原発当事者(電力会社や政府)が事実を隠蔽している現状では、議論はフェアーになるはずがない。救いは、コンピューターが進化した結果、隠蔽された情報が漏れでることである。

○さてフクシマまら何を学ぶかが、われわれの最大の課題だろう。過去の事例(スリーマイル、チェルノブイリ、東海臨界事故)を見ればいろいろな教訓が得られる。しかし、根本的には、「豊かさとは何か」を問う必要があるだろう。大量の電気が誰かの犠牲(大勢の被曝者)で利用できるのであっても、われわれは今までと同じ生活を送っても良いのだろうか。豊かさや文明や便利さを問い直し、原発廃止を目指すだけでなく、われわれの生き方を変えることに勇気を持つことが求めれれている事ではないだろうか。

六甲山人

2012年4月22日 (日)

原発国民投票(2)

○あるテーマで本を読んでいて、集中できない時、気分転換で庭の花や野菜の相手をする。齢のせいか、能力のせいか、気分が日内変動する。別なやり方は違った本を読むことである。詩集であったり、写真集であったり。

○原発国民投票を進めるため、「原発をどうするか、みんなで決める」(飯田哲也他、岩波ブックレット)をよみ、「「原発」国民投票」(今井一、集英社新書)を読んだ。

○国民投票は、議会制民主主義の下では、日本国憲法に規定がないので、新に法律を作る必要がある。議員(国、地方レベルでも)は無知な国民が政治の方向を決めるなんてとんでもないと思っている。だから、原発の行方を国民みんなで決めましょうという意志を、署名で示すことから「原発」国民投票法への動きが始まる。100万人以上の署名が目標である。国会でこの運動に賛同する議員を必要とするが、3.27の新聞に「超党派議員が原発セロの会を27日から立ち上げる」と出ていたので、希望は持てる。

○法律上は、時の政権与党と立地の賛成があれば原発は推進されるのだが(いままでそうして推進されてきた)、いま滋賀県知事のように「立地」の権限および国の政策に異議を申す動きが出てきた。

○「原発というものは、事故が起これば日本のみならず世界が汚染されるわけだから、日本の立地のひとたちが決定権を持っているというのはとんでもないことで、本来少なくとも国民投票にすべきものです。というより(原発の稼動の)決定にドイツやイタリアが異議を申し立ててもいいわけです(p。137,8 藤原新也の言葉)」(「なみだふるはな」・石牟礼道子vs藤原新也/河出書房新社)

○石牟礼が水俣を語り、藤原がフクシマを語り、水俣とフクシマは繋がっているいるという。「一輪の花の力を念じるしかない」という石牟礼の言葉はおもい。

六甲山人

2012年4月15日 (日)

原発国民投票

○月に一度の「賢治童話を読む会」に参加し、その後、本屋、古本屋を覗き、時間がまだあるので、夕食を済ませ、三ノ宮の勤労会館へ。

「原発」国民投票に賛同する兵庫県人が集まるという事で、メールの案内を受けての参加である。出席者は10名ほど。県の名簿管理人の司会で会は始まった。県の目標は5万人。全国で111万人の署名を集めて、原発国民投票を実現しようと言う運動である。

○原発賛成か反対かの署名でなく、国民投票でみんなでそれを決めようという事に、「なぜ?」という議論もでた。狙いは、勿論原発反対へ持ち込むことであるが、とにかくもっとみんなで議論を深め、その上でみんなが原発問題を真剣に考えることが重要という。住民投票は東京や大阪で署名運動が行われたが、大阪は議会で否定され、東京はこれからである。浜岡原発をひかえた静岡県の動きが注目される。要するに議員は地方であれ国であれ、なぜか国民投票を好まない。物事は政治家が決めるものと誤解している。彼らを動かすために何が出来るのか、これから国民投票を求めて模索が始まる。国の政治を動かすのは多数の国民であることを示さなければならない。

○兵庫県で何が出来るかが、わきあいあいと話合われた。原発の理解に多少温度差はあっても、第1回の集まりの雰囲気はとってもよかった。

六甲山人

2012年4月 8日 (日)

がれき処理

○映像で東日本大震災の爪痕を見ると、理屈抜きで、早くがれきの処理をしなければと思う。「方丈記」に描かれた13世紀の京の都の惨状(地震、風水害、餓え、で万単位の死者が出たという)は、活字からの想像だが、映像や写真は脳髄に飛び込んでくる。

放射能とはなんなんだ、分からないことがいっぱいあるが、いま世論が割れているのは、それを広域処理すべきかどうかということ。3月14日の朝日社説は「お互いさまの精神で」受け入れろと論じている。でも、ことは放射能がらみ、日本人が得意な心情論で判断していいのだろうか。60年アンポの時、岸首相は後楽園が満員であるのを指して、アンポ反対は国民感情になじまないと言った。

○同じ朝日の3月16日の紙面で、「がれきを拒む社会」と題して加藤典洋(文芸評論家)、黒岩神奈川県知事山内知也神戸大学大学院教授(専門は放射線計測学)の談話を載せている。黒岩知事は受容れ派、ただし住民の反対は根強く、住民との対話を続けている。加藤典洋は、「反対は地域エゴの問題とは違う、国民の不安をしっかり受け止めずに効率優先の政府のやり方への国民の自己防衛」だと言っている。

○山内知也は、「日本の将来を考えた時、被曝する人を一人でも減らし、汚染されていない土地を残すことが重要」と言い、「被災地で高性能なフィルターが付いた大型焼却施設の建設を増やすべきです。(そうすれば)大きなお金が(現地)落ち、雇用も期待できる」と述べている。東京のゴミは既に被災地のがれきと同じぐらいに汚染され、それは関東地方全般に言えるのでは、とも言っている。西日本へは運ぶべきでないと言うのが彼の実際的な判断である。

○計算したことはないが、遠隔地(西日本その他)にがれきを運搬するのに、いくら位の費用がかかるのだろう。山内が指摘するリスクに加えて、経済性でも大きな問題があるとすれば、国民的な同情論で処理場を増やせと言う一般論は問題である。政府の飴政策(協力する自治体には補助金を出す)は、自民党が原発立地に金をばら撒いてきた路線と全く同じやりかた。補助金が原発立地の人びとの心をどれだけ蝕んだことか。われわれは税金の行方もしっかり監視する必要がある。

六甲山人

2012年4月 5日 (木)

大江健三郎と原発

○書棚を飾っていた本の一冊が「大江健三郎 作家自身を語る」(新潮社 2007年5月発行)である。大江の小説やエッセイは出版時に殆んど読んでいるが、この本と「大江健三郎 海外の評価」(創林社 1987年1月発行)は書棚で眠っていた。

○読みたい本は沢山あるので、どれを読むかは結構きまぐれというかその日の気分で決める。原発関係の本に疲れると、お気に入りの作家か写真集を見る。大江はお気に入りの作家の一人である。ちなみに写真集は「円空」や「仙ガイ(崖の山がない漢字が見つからない)」が好きだ。

○「作家自身を語る」は大江文学入門書として優れている。そのことはここでは語らない。大江はいま脱原発の立場で、「1千万人署名運動」の呼びかけ人の一人となり、引続き弱者の立場で発言を続けている。かれの沖縄、ヒロシマ、ナガサキへのこだわりは多くの人が知っている。

○大江が2007年発行のこの本で次のように発言していることに注目したい。「私がいま、最も恐怖を持って想像するのは、世界各地の原子力発電所が、あらゆる側面で次第に劣化して、事故を連続して起こし始めること、そして小規模な核兵器を実際に作動させてしまう連中が出てくることで、…」(p。268)。2007年といえば、私は仕事を徐々に減らし、自分の時間をもっぱら遊びや畑仕事に使っていた頃である。原発のことは考えたこともなかった。

○大江には20台で知恵遅れの障害児が誕生し、彼(光)との共生の中で彼独自の文学を展開していく。今回の署名運動に私も少しは協力したが、私の呼びかけに対して「大江が呼びかけ人だから断る」と言う人がいた。身のまわりにも、大江健三郎を嫌悪するひとがたまにいるが、大江の作品を嫌悪するのか、彼の生き方や才能を嫌悪する(嫉妬する?)のか、よく分からない。

○私は今年からブログというものを始めたが、大江はこんなことも言っている。「ブログに書いたものをプリントアウトして、何度も書き直しを重ねていくのが自分をきたえるのに有効だと思いますよ」(p。279)。「ブログのような文章」と言うものがあるということを教えられた。

                                               六甲山人         

2012年3月26日 (月)

原子力技術者が書いた3冊の本

○原子力技術者が書いた3冊の本を紹介したい。

「原発はなぜ危険か」(田中三彦著/岩波新書) 1990年1月発行といえば21年前の事。原発の設計に従事した著者が、原発は老朽化しいろいろな問題を生じるという事を理論面と実際に起こった事故から平明に述べている。著者は「日本の原子力発電は、意見の対立や批判精神が全く存在しないモノトーンの集団(原子力ムラ)によって推進されていた」(p.119)と書いているが、このような状態が現在も続いている日本はいったいどんな国なんだろう。

「福島第一原発ー真相と展望」(アーニー・ガンダーセン著/集英社新書) 2012年2月発行。 著者はアメリカの原子力技術者。スリーマイル事故等アメリカの情況をふまえて、フクシマを論じている。日本の論者が気づいていない福島事故の状況判断もある(福島第一原発1~4号機で何が起こったのか、これから何が起こるのか事実関係がハッキリしないのでほとんどの論者の考察は推論である)。

「福島原発でいま起きている本当のこと」(淺川凌著/宝島社) 2011年9月発行。 著者は元大手電機メーカーの原子力部門の技術者。技術者の視線で「素人が作り、素人がメンティナンスをする原発」(p.63)と言い切っている。原子力ムラを解体する事が最重要だと言う。

○技術屋さんに共通するのは、具体論があって、そのうえでどういう工程で原発をなくしていくのかという論理である。単なるイデオロギー論争は不毛である事をつよく思った。

六甲山人                            

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